2012年8月5日日曜日
人の役に立つ投資に
Diablo3 RMT2003年に楽天グループ入りした「すべてゼロになってもいいや」と顧客は自由化で下がる手数料に期待して口座を作るのに、まだ先のことと考え、それまでの規制で定められた手数料しか示していなかったのです これからは攻勢に移ります本社は東京都品川区 マーケティング部マネジャーをディアブロ3 RMT命じられ、華々しい記者会見を開き、満を持して99年6月に営業を始めました将来は海外展開も考えています 99年10月の株式売買手数料の自由化を控え、インターネットの普及とあわせ、将来性を見込んでネット証券会社が次々と設立され始めていました 30代前半でしたが、勤務先には留学制度がなく、退職するしかありません社内全体に気を配り、常に後ろを振り返って守りを固めることを考えてきました口座開設や株取引などで得たポイントを、通信販売など楽天グループのサービスに使えるのが特徴だ今は1か月平均で約1万2000口座の新規開設がありますので、10分の1以下です当社から離れて行かれた顧客も少なくありません企業がコンピューターシステムを本格的に導入し始めており、将来性に期待できたからです投資をいかに人々の役に立つものにしていくかが重要だと思っています <ネット証券の創業に携わる> 2年間の留学を終え、帰国後は米国の経営コンサルティング会社の日本法人を経て、1999年4月にインターネット専業の証券会社、DLJディレクトSFG証券に入社しました預かり資産は1兆5941億円(6月末) お客様に聞くと、多くの方から「10月の自由化後の手数料が分からなければ口座を作りようがない」と言われましたシカゴ大経営大学院に留学後、米経営コンサルティング会社を経て、99年にDLJディレクトSFG証券(現?楽天証券)に入社創業から携われるのは魅力でした妻子もいて、ローンでマンションも購入していました86年広島大文卒、日本ディジタルイクイップメント(現?日本ヒューレット?パッカード)入社でも、家族も賛成してくれたので米国の大学院の試験を受け、合格するとあとは勢いでした しかし、当初1か月で集まったのは1000口座だけでした最大の強みは、グループの持つ大きな顧客基盤です(2012年7月30日??最新新聞)ショックとともに、理由がわからず、悩みました 06年に社長に就任しましたが、09年にもシステム障害への対策が不十分として再び行政処分を受けました 他の会社の情報処理システム作りのお手伝いをするうちに、「自分で会社を起こし、ビジネスをやりたい」という気持ちが強くなっていきました楠雄治(くすのき?ゆうじ) 49歳 楽天証券社長 <古代史を学んだ学生時代から一転、情報処理システムの設計や開発を行うシステムエンジニア(SE)として就職した> 大学は文学部でメソポタミア文明などを学びましたが、畑違いのコンピューター業界に就職しましたお客様の信頼を失ったことは間違いなく、非常に苦しい思いでした経営を学ぶため、米国留学を考えました2006年10月から社長2005年には金融庁から行政処分を受ける事態になりましたお客様が何を考えているのか、常にアンテナを張る大切さを実感しましたこの反省から、社長就任後の5年は組織の土台作りに努めました口座数は約128万口座でネット証券で2位(3月末) <システム障害が相次ぐ> その後も顧客は増えましたが、一方で注文が殺到してコンピューターの処理能力が追いつかず、お客様が売買を発注できない障害も起きました若い世代が中心の会社で、社会人の基礎はSEとして最初の派遣先だった銀行の方々に教えていただいたと思っています常にアンテナを【16年前】1996年、シカゴ大経営大学院の卒業式で家族と記念撮影 急きょ社内で検討し、当時破格の安さだった1回の約定につき1900円の手数料を発表すると、口座が一気に増えました(聞き手 米沢知史)◇(略歴) 1962年、広島市生まれ会社を起こす苦労はわかっていたので、自分から申し出て給料は低めにしてもらいました《こんな会社》 1999年3月に住友銀行系のインターネット専業証券、DLJディレクトSFG証券として設立 システム障害を繰り返したのは、予想以上に拡大した市場や事業規模に対応できる運営体制を作れていなかったことが最大の原因です
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